2009年 07月 01日
弊社・社長、赤井弥一郎をご存知でしょうか? 知る人ぞ知る日本の「リネンマイスター」です。 リネンの知識・造詣で、比較できる人物は誰もいないでしょう。 もうそれは日本だけではなく、世界水準かも知れません。 この人物の歴史=ここ半世紀のリネンビジネスの小史と言って良いでしょう。 その歴史を少しづつ、ひもといて行こうと思います。 赤井弥一郎は、旧赤井商店/現AKAIの3代目に当たります。 赤井商店の創業は、1912年。まもなく100年を迎えます。 初代は、主に「畳」関連の商いを始めました。縫い糸や縁(へり)を扱う商いです。 これが、赤井商店の原点でした。2代目の時代は、日本が海外列強と競争する時代なり、 この時代に要求される官需繊維として、はじめて「Linen」ビジネスを大きく乗り出します。 いわゆる戦前、Linenは軍需産業のニーズから成長した産業でした。 例えば、旧日本軍の戦闘機。この主翼にはLinenの帆布が使われました。 「翼布(はふ)」と呼ばれます。 これは、この時代どの国も共通に戦闘機へ用いられたようです。 ヨーロッパの紡績メーカーもその需要に応えていたようです。 なぜ、他の繊維ではなく「Linen」だったのでしょうか?その理由は、他の繊維よりはるかに勝る 「強度」だと言われています。現代は飛行機に、「炭素繊維」が使われることで有名です。 しかし化学繊維が登場するまでは、リネンは加工のしやすい強度のある繊維素材だったのです。 一説によると、綿で翼布を作ると機銃弾に当たると裂けてしますのが、リネンは穴が空くだけ。 戦闘機のダメージが少なかったのが、最大の理由だったとか。 2代目は、この需要に対して応えるために京都に麻織物専門工場を設立しました。 それが、弊社子会社の「京都麻織物」です。ここで、日本で紡績されたいたLinen糸を使って 織物を生産し、戦闘機生産のため納めていました。 当時、日本ではLinen紡績が3社存在しました。やはり軍需での設立が目的だったようです。 戦闘機だけではなく、テント、布バケツ、ホースなど身の回り品が強度のある繊維Linenで 作る必要があったため、国策として設立されました。その当時、軍需・官需麻紡績は隆盛期。 そして赤井商店は最もLinen糸を使った民間メーカーだったようです。 戦後、復興期は、初代・2代目が会社を守り、現在に至るAKAIのLinenビジネスの礎を作りました。 そして、赤井弥一郎は少年~青年期を過ぎ、1938年、赤井商店へ入社し、Linenビジネスへ 身を投じることになります。 (つづく)
by akaiinc
| 2009-07-01 18:15
| 彌一郎物語
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